「ちょっと顔丸くなった?」「なんか今日の服、微妙じゃない?」
これを聞いたとき、どう思います?失礼すぎって思う?なんかデリカシーないこと言うな
ぁと思う?まぁそうですよね、社会人にもなってこんな言葉をかけられたら、普通そう思
いますよね。でもね。そんな予想とは裏腹、わたしはたまらなくうれしくなるのです。
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あぁ、この人はちゃんと自分のこと見てくれている。この人とわたしの間で、本音を伝えて
も大丈夫という関係性が成り立っている、っていうのがわかりやすく表れているから。だ
から、「背が高くてすてきね」「ショートヘアがよく似合うわね」そんなその場限りの台詞
なんていらない。一時だけのコミュニケーション、血の通ってない言葉。そういういわゆ
る“建前”が、わたしにとってはたまらなく寂しく感じるから。あ、まぁ背が高いってのは
事実かもだけど……なんだか、モヤモヤする。
でも社会っていうのは、“いかに美しい建前”を伝えられるかが世渡り上手の基準。社会人
って、超ペテン師だなぁと思うよ、ほんと。こう、なんだろう、天然に見せかけた人工感
……すっぴん風メイクっていうの?それもさ、薄明りの下だったらバレないだろうけど、蛍
光灯の下だったらわかる人にはわかるわけで。そういう嘘のような建前って、うれしいの
かな。異性間だったらまた別なのか……えっと、何の話?
◎ ◎
とはいえ、特に女性同士の関係性って 9割5分「すっぴん風メイク的建前」で成り立って
いるわけであって。いわゆる「kawaii~~~」もその一つだと思う。まぁ文化でもあると思
うのですが。これってひょっとすると、地方と都会の違いかもしれない。私の出身地の地
方は特に、隣の家の子供でも自分の息子・娘のように接する文化がある。だからちょっと
行き過ぎた失礼な言葉も、失礼だなと思いながらもなんだかんだ嬉しいし、あたたかい。
いま、「そこに愛はあるんか!?」ってCMから聞こえた。これこれ、これです。東京には、今日の服が変だとか、メイクが濃いとか、近所のちょっと失礼なおばちゃんがいなくて、あぁなんか関心ないのかなとか、自分自身でしか自分を見ていない気がして、時折すごく寂しくなる。上京した若者は、意外とこういう存在を求めているのかもしれない。
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そういえば、学生時代の友達も、学生の頃はさんざん肌が荒れているとか、眉毛が変とか
言ってたのに、最近「今日のメイクいい感じだね」とか「どこの眉サロン行ってる?」とか、いわゆる大人のコミュニケーションになってきた。いいんだけどね、いいんだけど。あの頃の愛のあるガサツさというか、「失礼だろ!」って半ギレしそうになる、あの丸裸なコミュニケーションが、時々猛烈に欲しくなるんだよね。
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大人になるって、なんかちょっと寂しい。
関係性は変わらなくても、交わす言葉が変わってくるから。
だから最近思うんです。
わたしは言葉に出さない愛があるとしたら、言葉に出す愛もほしいかも。
あ、 I love youとかそういうのではなく、ちょっと辛辣な、ブラックな愛のメッセージね。