はじめて孤独という感情を自分の中に意識したのはいつだろう。
小学校高学年までにははっきりとした感情を抱いていたとは思う。当時の私は、学校に行くのが憂鬱だった。勉強が嫌いなわけじゃない。図書館に行けばたくさんの本がある。人間関係だけが悩みの種だった。
◎ ◎
仲良くしていた子にある日突然はぶられた。物を隠されるとか、壊されるといったひどいいじめをされたわけじゃない。無視されるとか変なあだ名をつけられるとか、そういった類のものだった。
その子は他の子に対しても同じようなことを繰り返していた。私の幼なじみは気が弱く、その子と一緒に私を仲間はずれにした。保育園の頃からの幼なじみに裏切られたときの心の傷は、今も癒えない。
当人たちはそこまで悪意がなかったのかもしれない。私が一言イヤだと言えば、何か変わっていたかもしれない。だけど私は、何も言えなかった。物事が大事になるのが怖かったのか、これ以上嫌われるのが怖かったのかは忘れてしまったけれど。
それから私は別の友達を見つけてつるむようになった。私をいじめた子と見て見ぬふりをした幼なじみとは、進学先が離れて安堵した。
近所に住んでいるけれど、もう何年も会っていない。彼女たちとの事は、これまであまり思い出さないようにしていた。あのときどうすることが正解だったのか、今でも分からない。
◎ ◎
私は、誰かを心から信じることはなくなった。家族や友達とは上手くコミュニケーションできていると思う。今ある縁は大切にしたいとも思う。しかし同時に、冷めた目で見つめるもう一人の自分がいた。
私の深層心理には絶対に触れさせず、距離を置いて人と接してきた。出会いがある限り、別れがある。そんな自然の摂理のもと、どうして孤独を埋められるだろうか。人は一人で生まれ、一人で死んでいくのだ。
あるとき読んでいた小説の中で、絵本作家を志す主人公の言葉が目に留まった。孤独を感じたときこそ純度の高い作品をつくれるといった発言だった。何度もその一文を目でなぞっていった。そしてゆっくりと、嚙み砕く。長い時間をかけて理解し、自分の内部に取り込む。
芸術家は孤独を糧にして、より芸術性の高い作品づくりに努める。理にかなっていると直感的に感じたのは、私が小説を書いているからかもしれない。
◎ ◎
私が文字をつないで創作をするのは、私がつくったもので誰かの心を動かしたいという思いからであるが、一番には書く事で自分が救われたいという願いがあるのだと思う。
孤独は必ずしも負の側面をもっているわけではなく、孤独からしか生まれないものがある。私の中の孤独に価値を見出せたことに、私は救われた。孤独の檻にいた私は、一筋の光を見た。
私は、どうしようもない感情を乗り越えるための最高の方法を見つけた。孤独は創作の大きなエネルギー源だ。孤独は私を強くすると思うと、寂しさに怯え震えることはなくなり、よりいい作品をつくれるチャンスだとむしろ楽しみに思うようにさえなった。