用意された答えはない。大事なのは皆で知識を出し合い答えを導くこと

相手に賛同できる時、言葉に困ることはない。でも、相手の発言とうまく反りが合わない時、その思いを言葉にすることは難しい。相手が、自分よりも賢かったり、地位が高い人だったら、なおさらだ。
学生だった頃は、それぞれに志望校や得意不得意があり、本音や自分の考えを明確に表現する事、表現する事を求められる事は少なかったように思う。でも、社会人になりお仕事をするようになると、先輩や上司の意見や指示のもとで、その意見をチームの意見としてを形にすることが多くなった。最初のころは、ただ形にするだけだった業務も、徐々に自分の意見を求められるようになる。そのたびに、自分の意見が正しいのかすら不安な中で、相手に伝えたいことを伝えて、理解してもらう事の難しさを実感している。
目的とゴールは教えてもらえても、道筋まではいつまでも教えてもらえない。なぜなら、道筋はいつでも決まっているわけではないし、変わる事もある。私が、初めてその事に気づいたのは、社会人3年目の時だ。小さなプロジェクトだったが、小さいからこそ私がメインで、相談できるようにと先輩がリーダーとして担当し、私がほぼ一人で担当するプロジェクトとなった。最初に聞いた話では、設計書通りに開発してテストするだけとなっていたのだが、途中から設計書だと情報が足りないことが分かり、設計からやり直す事になった。開発担当者もとい一番の理解者として私も会議に参加していたが、それぞれの意見が述べられる会議で、内容を理解する事が精一杯で、自分の発言はできずにいた。
そんな会議の帰り道、私は一緒に参加してくれていた先輩に、会議の中で話されていた設計の中で、実現できない条件について、何気なく伝えた。私が分かる事なのだから、私よりずっとすごい先輩は当然気づいていて、私の気づいた点が間違っていて別の方法があるのだと信じて疑わなかった。しかし、先輩からの回答は、その内容を会議で発言してくれればよかったのに、というものだった。その発言に責めるような雰囲気はなくて、ただの感想という感じだったのが救いだが、その発言に、私は自分がただ内容を理解して開発する、つまり設計は誰かに委ねていると気づいた。私より経験のある先輩でも、すべてを理解している訳ではないし、私の方が細かい部分まで理解している。会議に参加している関係者の方々も、それぞれの分野の知識や観点から発言している。私が会議に呼ばれていたのは、単に開発する人としてではなく、プロジェクトの関係者としてなのだと。
この会話をきっかけに私のお仕事に対する考え方が少し変わったように思う。それまでは、自分より地位の高い人達を前にして、私は言われた事をやっていればよいのだと考えていた。でも、何気なく言った一言とその回答から、学校での勉強のように用意された答えを探すのではなく、関係者が知識を出し合って答えを用意するのだと考えらるようになった。答えを探していた私はどこにもない答えに対して、自分の意見を発言するする事に恐怖があった。でも、お仕事に一緒に関わっている人たちは答えを探す側で批判する人ではないと、あの時感じられたからこそ、しっかり意見を持って、自分の言葉で発言していきたい。
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