例えば、お互い違う味のアイスクリームを頼んだとする。
相手が頼んだアイスクリームも、正直気にはなっていた。でも、今日は目の前のアイスクリームを味わうことに決めたのだ。
それなのに、「一口ちょうだい」なんて言ってくる人の気持ちがわからない。
それぞれが、それぞれの味を楽しめばいい。
そう思っていた。

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与えられたら与えられた分だけ、与えられなかったらいっそ望まないようにして生きてきた。
与えられなかったものにいつまでも執着するのは、自分がつらくなるだけだから、現状を受け入れる癖が身についた。

一方で、与えられたものに対する執着は強くなってしまった。食べ物は特に。
そういう生まれ育った家庭環境が、自分の価値観に影響しているというのを実感したのは、社会人になってからだ。

友人や少し気になっている異性と、食事に行くことが何度かあった。
そういうとき、同じメニューを頼むことはほとんどない。私は私の、あの人はあの人の選択をしただけのこと。それだけのこと。お互いの選択に干渉することは、好きではない。

けれど、あの人たちはお構いなし。

「それ美味しそうだね、ちょっとちょうだい。一口だけ、ね」なんて。
私は好きなものは最初に一口食べて、残りは最後にゆっくりいただくことがほとんどで、口の中に好きなものが広がる幸せは、一口たりとも減らしたくない。譲りたくないのが、本音。一口減るくらいなら、もういっそ全部あげて、なかったことにしたい。
そんな私だから、あの人たちとの、「また」の約束は口だけになる。

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あなたに出会ってから、何度「一口ちょうだい」「一口あげる」ってやり取りをしただろうか。
アイスクリームも大好きなお肉も、お菓子も、今までたくさん分け合った。時には、一つのものを人で食べることもあった。

食べ物への執着がなくなったわけではない。今でも、「一口ちょうだい」と言われて複雑な気持ちになる相手はいる。
だけど、前よりも寛大になったように思う。
あなたに出会ってから、「一口ちょうだい」って言葉の裏には、同じ感覚を味わって楽しみたい気持ちが隠されているのだと知ったから。

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それに気づいたのは、あなたとおでんを食べたときのこと。
一つしかないおでんの具材(たしか、がんもどきみたいなやつ)を、あなたは半分こにしようか、って何気なく言った。
私はその前に、「これ食べてもいい?」って同じく一つしかない具材を、一人でひとつ食べたのだ。聞いて食べただけマシかもしれない。

けれど、あなたの何気ない一言に暖かくなった。
「これ食べてもいい?」よりも、「半分こにしようか」の方が幸せだ。
半分にしたそれを、一緒に頬張って「美味しいね」って、肩を寄せあい笑い合える方がもっと幸せだ。
同じものを食べて、「美味しい」とか「なんの味なんだろう」とかって一緒に味わうことが、こんなに楽しいなんて、あなたに出会うまで知らなかった。

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食べ物を分け合うこと、食べ物だけじゃなくて何かつのものを分かち合うことは、「君と仲良くなりたい、楽しい時間を過ごしたい」というメッセージなのだ。
今でもあなたと、たくさんのものを半分にしているのは、もっともっとあなたと仲良くなりたいから。

そして、あなたと育んだ愛は、あなただけじゃなくて、大人になった今でも仲良くしてくれる友人をもっと大切にしたいと思うきっかけになった。
あなたの愛が、LINEやSNSでいつでもどこでも繋がることができる時代に、実際に会って一緒の空間を共有できる楽しさを気づかせてくれたのだ。
あなたの愛は、私を誰かと関わることを喜べる人間に変えてくれた。

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あなたに出会えた私だから、「一口ちょうだい」と言われたとしても、「よろこんで」と答えられる。
私が感じた味、あなたが感じた味を半分こにしよう。
あなたの愛は、もう私を独りにしない。