合宿で食べたカレー。それは普段、家で食べるご飯とは一味違う、青春の味ともいえる。

高校一年生の頃、入学して一か月も経っていない頃に新入生合宿があった。まだ同じクラスの子の名前と顔を覚えていなかったこともあって、しおりに記載されている「二泊三日、寝食をともにする」という文字が、なんだか窮屈に思えた。

そして私は、キャンプなどあまり経験がないほうだ。山奥のキャンプ場で自給自足の生活をし、時には虫と闘い、朝陽を浴びるという自然の美しい空気を吸う人生。そんな自然の豊かさを心地よく思ったことはあまりない。そのような人生とも、繋がりを見せたことはない。

しかし、自然を避けて生きてきたわけではないのだ。やはり、山の緑に囲まれた合宿所でご飯を作って食べることは、私にとって非日常そのものだった。

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制限時間内に班にわかれて、カレーを作る。それは三年間の高校生活のなかで、振り返ると、思い出にも満たない通りすがりの記憶かもしれないが、自分のなかでは、鮮明に刻まれた瞬間だったと思う。

まだ会話すら交わしたことのないクラスメイトばかりだったけれど、包丁を器用に使いこなせないと言い張る男子からは、野菜を刻む作業は女子に任せると宣言されてしまったのを、今でも覚えている。そう頼まれると断るわけにもいかないし、時間に追われているせいもあって、「はい、やっておきます」と答えるしかなかった。

それから、慣れない手つきで包丁をもってみる。ああ、ダメだ。ジャガイモと人参の皮をむくのに時間がかかる。だって普段、料理をするという趣味もなければ、包丁の使い方さえ、まともに教えてもらおうともしていないから。
そうやって心のなかでグチグチと声を上げながら、私は「包丁、もったことありますよ。でも、今日は、すんなり手が動かないのです」というアピールを表情全部でやって見せたのだった。

当時はまだ、合宿でのカレーが、いずれ思い出のご飯だと語り合う日がくるかはわからなかったけれど、一緒にご飯を作って食べるのは最初で最後かもしれない、と心のどこかで、そう思う自分がいた。

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そして、なんとか班全員で制限時間内に協力してカレーを作ることができた。男子とか女子とか関係なく、ああでもないこうでもない、「カレーの米は固くならないように炊けているね」などと語り合いながら完食したことが、今では懐かしくて仕方ないものだ。

高校を卒業して四年が経とうとしている今、ようやく、合宿でのカレーが思い出の味として、心の真ん中にじんわりと響いてきている。

もう卒業して四年ということは、十六歳の春は何年前のことになるのだっけ。あの合宿所にもう行くことはないし、あのときの班でカレーを作って食べることはもうないだろう。だからこそ、私にとって新入生合宿で食べたカレーは最初で最後の、一生もののご飯なのだ。それは青春の味というよりも、初々しくて、ある意味、新鮮な匂いが脳裏に焼き付く。十六歳の思い出に気取った雰囲気を取り入れると、そんな言葉が似合うのかもしれない。

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もちろん思い出のご飯は、まだまだある。それでも、どうして高校生の頃の新入生合宿でのカレーを思い出すのかは、やはり何歳になっても青春の真ん中を歩いていたい、という私の理想が、そうさせているのだと思っている。
いつまでも若く、美しく、だなんて無理やりすぎるけれど、あのとき合宿所から見た景色とか、灯台までクラスに分かれて合宿所から散歩したこととか、まだ出会って間もない仲間と気づけば打ち解けていたこととか。
そんな些細な場面を心のどこかに名もなきアルバムとして収めておきたいなあ、と思い出のご飯を思い出すたびに、私はウキウキと胸を鳴らすのだ。