ちょっと待ってな、これも持って帰り。おばあちゃんの重くて温かな愛

おばあちゃんにまつわるごはんのことは、亡くなって10年以上たった今も時々思い出す。
小学生の頃、両親が家にいないときはおばあちゃんに預けられていた。
おばあちゃんは自宅の向かい側に住んでいたので、学校が終わったらおばあちゃんの家で宿題をしたり、我が家のごとくくつろいでいた。
そんな中で、おばあちゃんの記憶と紐づいている食べ物が2つある。
1つ目は煮物。
家でゴロゴロしていると突然家の電話が鳴る。
私「もしもし」
おばあちゃん「もしもし?あ、○○(母の名前)さんか?」
私「違うよ、みーこ」(9割がた私と母を間違えるので訂正が必須)
おばあちゃん「あぁ、みーこか。肉炊いたから鍋持ってきて~鍵は開いてるから~」(ここで明らかに声のトーンが下がる、なんでだよ)
私「あいよー」
何を隠そう、この「肉炊いた」のが煮物である。牛肉と玉ねぎとにんじんと……たしかほぼ肉じゃみたいなものだったと記憶している。
鍋を持っていくと、でっかい鍋を持ったおばあちゃん。1人暮らしなのにあの大量に作っていたのは我が家におすそ分けが前提だったのだと思う。
おばあちゃん「ちょっと味薄いかもわからんわ」
私「そんなことないで、いつもおいしいで」
おばあちゃん「(私が持参した鍋に煮物を入れながら)こんなもんか?」
私「うん、それで大丈夫、ありがとう」
おばあちゃん「もうちょっといるか?(お玉いっぱい入れる)」
私「もうええて(笑)ありがとう(笑)」
おばあちゃん「ちょっと待ってな、これも持って帰り」
……こうなったら鍋いっぱいの煮物だけではなく、ハーゲンダッツや果物を持たされ、手がふさがりまくった状態で家に帰る羽目になる。
愛というのは重い(物理的に)と学んだ。
2つ目は鍋焼きうどん。
ある雨の日、びしょぬれでおばあちゃんの家に行った。
いつも近所の蕎麦屋さんから出前をとってお昼ご飯を食べていたのだが、タオルを被りながら震えてる私におばあちゃんは「今日は鍋焼きうどんにするか?」と提案してくれた。
今まではそのお店のそうめんしか食べたことがなかったので、鍋焼きうどんという未知の存在におののいていたのだが、実際に食べてみると「こんなにおいしいものがあったのか……!」と感動した。
雨に降られて家に帰るたびに鍋焼きうどんのことを思い出す。外食で鍋焼きうどんを食べることはほとんどないが、あったかい麺類を選びがちなのはこれがルーツかもしれない。
おばあちゃんの家と私の家の住所はほぼ同じだったので、私宛の郵便をおばあちゃんが勝手に開けていたことがあったり、リコーダーや音読の宿題を聞いてもらってるときは、せんべい食べててほぼ聞こえてないだろってときも半分寝てたときもあったけど、大好きな時間だった。
そんな時間をおばあちゃんと過ごすことはもうできないけれど、今もそばで見守ってくれてると信じて今日も生きよう。
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