私は幼い頃から、こう言われて育った。

「良い子になりなさい」

私の両親は、よく言えば娘思い、悪く言えば過保護なタイプで、私は義務教育終了まで、彼らの鳥籠の中で、蝶よ花よと育てられた。

良い子とは、どんな子だろう。そんなわずかばかりの疑問を抱えながら。

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でも私は、良い子にはなれなかった。
小学校までは成績も優秀で、進学校にも進めるだろうと言われていた。だけど、物心ついたときから転校続きで溜まったストレスが根底にあり、小学校卒業間際に転校して、人間関係を上手く作れないまま進んだ中学校で孤立した。そうして中1の夏休み明けに不登校になった。

勉強はもちろん、それまで好きだったことも楽しいと思えなくなった。
当然のように成績も落ち、優等生コースを外れた私を見て両親は嘆いた。

「あなたは昔から良い子だったのに、どうして学校に行けないの」

ただでさえ、同調圧力の強い中学校で規律に馴染めず、ずたずたに傷んだ13歳の心に、その言葉は嫌というほど鋭利だった。

こんなときまで、私は「良い子」であることを求められるのか。
「良い子」であることで、私は本当に幸せなのか。
それは、あなたたち大人の、「私たち両親にはこんなに素晴らしい娘がいる」というステータスなだけではないのか。
私は、何のために生きているのか。

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幼い頃から度々感じていたちょっとした違和感が、点を結んで線になった。
あぁ、私は、彼らの「幸せ」を具現化するための道具なのだ。
それに気づいて、理由をつけて実家を出た。

親元を離れてからもしばらくの間、「良い子」の呪縛は忘れた頃にまた浮かび上がり、私を苦しめた。

「女の子なのだから、将来は良い人を見つけて、可愛い孫を産んでほしい」
「良い子に育って、幸せになって私たちを安心させてね」

幼い頃から聞かされ続けたそんな言葉が、鼓膜の奥に焼き付いてむやみに再生されるたび、そうなれなかった罪悪感と、そういう価値観を押し付けてくる両親に対する嫌悪で、胸の中がぐちゃぐちゃになった。

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家を出てからは、自分の進む道はすべて自分で決めた。
大学で学ぶ分野、就職する場所、心が弱ったときにその場所を離れる決意、再び歩み出すための環境。
もちろん、就職するまでは両親からの援助を受けるときあったが、決断の舵取りはあくまでも自分でするようにして、彼らには報告にとどめた。
一つひとつ選択を重ねるたび、自分を縛り付ける鎖を外していくようだった。
就職してしばらく経って、金銭的な余裕も得た今はもう、良い子でいるための努力も、それによって得られる評価も、私には必要ないとわかった。

だって私の幸せも不幸せも、私のものだから。
良いことも嫌なことも全部を受け止めて、自らの責任で必要なものを選び取っていく。
誰かに決断を委ねたり、幸せや不幸せを勝手に推し量られたりするのは、もうやめた。
そんな自分のことを、たくましくなったな、とたまに思って苦笑する。

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世界はこんなにも広くて自由だ。
言いたい奴には勝手に言わせておけばいい。私の中にある痛みも、悲しみも、自分だけが知っていればいい。
私は、事前につまずきそうな石ころを誰かに取り払われて安全な道を歩くより、たとえ自分があとで転んだとしても、そのままの道を歩きたい。

一度しかない自分の人生だから。そう思える今の自分を、私は誇りに思っている。