小4の恋で負った傷を執念に変えて。あれを唯一の恋愛にはしたくない

28年の人生で、恋愛感情を抱いた相手は、「彼」、ただ1人だけだった。
小学校4年生の春に出会い、通う学校が別々になった中学校3年生まで、私はずっと、彼に対して複雑な「好き」という気持ちを抱き続けた。
中学校卒業以来、彼とは一切の繋がりがなく、今どこで何をしているのかも知らない。おそらく金輪際、言葉を交わす機会もないだろう。それでも、彼は今でも私の心に深く刻まれている。
大人になった今だからこそ、もし再び会えるのなら伝えたいことがある。もちろん、その術はないけれど。
それでも、伝えるとしたら何を話したいか、考えてみたくなった。
まずは、感謝を伝えたい。
彼は、私が生涯で初めて、そして唯一、心から恋した人だった。
そして、唯一私に「好きだ」と思いを告げてくれた人でもあった。
同じクラスで過ごした小学校4年生の1年間。女友達といる時とはまるで違う、胸の奥が熱くなるような「楽しい」「嬉しい」「ドキドキする」感情を、たくさん教えてくれた。
偶然帰り道が重なるだけで嬉しかった。前後の席になったとき、私の長い髪を綺麗だと褒めてくれた。誰もいない教室で2人並んで静かに本を読んだ、あの何でもない時間が、たまらなく幸せだった。
思い出が美化されているかもしれない。
それでも、あの時の満ち足りた気持ちをくれたのは彼しかいない。それは確信を持って言える。
そしてある時、彼はラブレターという形で想いを伝えてくれた。それを私は今も、大切にしまっている。人生で一度きりの初恋を、形にして残してくれたこと。
本当に、ありがとう。
今、マッチングアプリや街コンに頼って必死に「出会い」を求める日々のなかで思う。
あの頃は、生き物の本能のように自然に、誰かを好きになれたのだと。誰かに教わったわけでもないのに、「ああ、あなたが私の好きな人」と、ただ心が知っていた。
あの感覚は今となっては奇跡のようだ。
改めて、あの恋をありがとう。
そして、もう一つ伝えたいこと。
それはあの頃、最終的に私のことをどう思っていたのか教えてほしい、ということ。
小学校4年生で両想いになったけれど、幼い2人は何をするでもなかった。「付き合う」とか、「デート」とか、そんなものは考えにも至らなかった。
せいぜい、彼の誕生日にサッカーのキーホルダーを贈ったくらいだ。
けれど、そのキーホルダーも、小学校5年生の秋に友達経由で返されてしまった。
それ以降、やりとりしていた手紙の返事も途絶え、私は悟った。――振られたのだと。
その後、小学校6年生と中学校2年生で、二度もまた同じクラスになった。が、なぜあのとき彼は私を拒んだのか、理由は結局わからないままだった。
彼からは何も言われず、私も怖くて聞けなかった。
顔か。体型か。性格か。女としての魅力がなかったのか。
原因を自分に探し続けた。
理由もわからないまま振られたあの日から、今もどこかに小さな棘が刺さったままだ。
だから、知りたい。たとえどんなにくだらない理由でもいい、できれば白黒つけたいのだ。
あなたが私に突きつけたNOに、決着をつけたい。
今でも恋愛の夢を見ると、必ず彼が現れる。そんな夢を見た朝はきまってバツが悪くなる。アラサーになった今も、幼い日の恋に心を引きずられている自分が、たまらなく恥ずかしいのだ。
そんな自分を、そろそろ救いたい。だから、教えてほしい。
あの頃、あなたは何を想っていたのか。
……そんなふうに思いながら、ふと考える。
きっと彼は、あの後何人かの女性と恋をし、結婚して、子どもも生まれて、今は幸せに暮らしているかもしれない。
そう思うと、無性に腹が立ってきた。
私にとって彼は特別だったのに、彼にとって私はただのモブだったのかもしれない。
それなのに、私は彼との思い出を今も大事に抱えている。
このギャップに腹が立ってきたのだ。
彼氏がいないから不幸だとは思わない。結婚だけが人生のゴールだとも思わない。
それでも、このまま恋愛経験が彼だけなのは、どうしても癪だ。
彼に負わされた傷を、私の執念に変えて。
小学校4年生のあの頃よりも、もっと大きな、もっと幸せな恋をしてみせる。
そして、数年後。
こう言ってみせるのだ。
「あの時、私を傷つけてくれてありがとう」と。
そう心に誓い、私はマッチングアプリをダウンロードした。
28歳の春だった。
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