他人の評価に晒されてきた学生時代。社会人になり感じる生きやすさ

小学生の頃の私は太っていた。
そのこともあり、家族からは「ブタ」「ブス」と言われていた。また、自然とスカートや女の子らしい服を着ることを避けていた。そのような格好をすると、また家族に馬鹿にされるとわかっていたからだ。同級生から、「笑顔が気持ち悪い」と言われると人前で笑うことが少なくなっていった。
小学4年生のときの担任の先生が、明るくて私の良いところをいつもすくってくれたおかげで、徐々に私は明るさを取り戻していった。身長が伸びて、自然とほっそりしてくると小学校卒業頃には標準体型になっていた。家族からは容姿のことで言われなくなった。
しかし、中学生になると今度は同級生の女子から、タイツを履いていただけで「キモい」と陰で言われた。その日からタイツを履くことを止めた。
高校生になると、制服の着方にこだわりが出てきた。元々ファッションは好きで、自分の中に憧れやこだわりがあった。
高校2年生のとき、同級生から陰で「大して可愛くなくね?」と言われた。別に誰かに可愛いと言われたいと思ってないのに、どうして勝手に評価されるんだろうと思った。別の同級生からは、直接ではないが私に聞こえる声で「服が可愛い」と言われたこともあった。
大抵陰で言ってくる人たちは、私とあまり話したことのない人ばかりであった。直接言われることはないが、他者からの目に敏感なお年頃にとっては、マイナスな言葉は深く心に突き刺さった。陰湿だと感じた私は、早く高校を抜け出したいと思った。卒業式の日には、「ああ、やっとこの社会から抜け出せる」と晴れやかになった。
大学生になると、今度は世の中にはいろんな人がいるのだと実感することが増えた。
グループワークが多いこともあったためか、「この子がいればうちのグループは安泰」みたいなレベルをつける人が多いように感じた。同級生が「できる子」と言ってることがモヤモヤして、嫌なワードだと思った。周りとあまり話したくないと、無意識に壁を作っていた。
社会人になると、責任は重くなったが学生の時のクラスのような大きい集団に属することがなくなり、気が楽に感じた。自己責任の重さを感じることはあるが、自分らしさを徐々に取り戻していった。
今は自分に正直でいられて、他人の評価も気にならなくなった。悩みや問題は尽きないけれども、素直でいられることが自分にとって生きやすいと感じている。
好きなことを好き、嫌なことを嫌と言うことはシンプルにみえて難しい。周りの意見に呑まれて、違和感に気がつかなくなることもある。自分らしさに蓋をするのは、酸欠になってしまう。私が酸欠にならずに済んだのは、決して数は多くはない友人や、人生の合間に出会った人々のおかげだと感じている。今度は私が誰かをすくうことができたならと日々を生きている。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。