部屋を片付けていると、大量のごはんメモがさまざまな場所から出てくる。
本のしおりになっているものもあれば、バックのポケットから出てきたり、封筒にまとめてしまわれていたりする。

部屋中に散らばって存在するこのメモは裏紙を再利用したもので、朝早く出勤する母が後から起きてくるわたしに朝食のありかを伝えるものだった。
それが進化して、おいしい食べ方やトッピングなどを説明してくれる有難いメモとなっていったのだが、わたしにとっては見たいような見たくないような宝物の一つでもある。
見たくないのは、わたしの食べられなかった記憶を振り返ることでもあるからだ。

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思い返すと、毎日決まった時間に行動するのが窮屈で仕方ない子どもだった。
大人になれば治るだろうと気軽に考えていたが、学校を卒業して働きに出てからもそれは変わらなかった。
耐えるだけの日々にも限界があって、フルタイムで働くことができず、仕事以外の時間はほぼ寝たきりでいた。もどかしい時間を過ごすうちに、うまく生きていけない自分をとにかく責めていた気がする。

起きている時間は涙があふれて、疲れて眠って、起きたら涙がでて。
その繰り返しの毎日で、食事をとることもできないくらいすり減っていったけど、そのうち食事を摂らなくても平気になっていった。その当時は摂食障害に近い状態になっていることにも気づいていなかったのだと思う。

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最初のうちは減っていない食事を見た母、わたしが気づいていないと思ったのか食事が準備してあることを知らせるメモを残すようになった。

「お味噌汁あるから温めて食べてね!」
「おはよー!きゅうりの浅漬けが冷蔵庫にあるよ」

それでもなかなか減らない食事を見て、心配した母はわたしの好きなものや食べるのに手間がかからないものを工夫してくれていたことがごはんメモを見るとよくわかる。
忙しく働く母が栄養や彩りを考えて作ってくれていることを考えると、つらくても苦しくても毎朝作ってくれるお味噌汁だけは食べようとあるときから決めたと思う。

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それからは無理にでも摂った食事でなんとか自尊心を保っていたのかもしれない。
どうしても食べれなくて手を付けられない日もあったが、日によっては白米とおかずに手をつけることができて、それはある種の達成感があったことを覚えている。
そして再確認した。母の作るごはんは店を出せるほど絶品なのだ。

それからはだんだんと一食分を食べきれるようになってきて、今まで以上に食事が美味しく感じるようになった。無職となって貯金が底をついてきたころには仕事を探そうと思えるほどに回復することができた。

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今では紆余曲折あり、正社員としてフルタイムで働き、役職について責任ある仕事もする。
当時からは想像もできない場所で想像もできない仕事をしているのも、あのときのごはんがあってこそだ。
大げさかもしれないが、体を保つのに必要な食事は命と直結しているだけでなく、心とも通じているからこそ人間の生き方にも影響するのではないかと思う。

お腹がすいて食べたいと思える。美味しいものを美味しいと思える。
こんなに身近で合理的に幸福になれる手段は他にないと言ってもいい。

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部屋に点在するメモを集めながらそんなことを考えた。
食事はエネルギーになって見えなくなってしまうけれど、このメモを見ると愛情のこもった美味しいごはんとつらかった経験が確かにあったことを思い出す。その記憶は乗り越えた自分を優しく励ましてくれるお守りになっているのかもしれない。
だから今日も生きるために食べる。わたしのために食べる。