「背伸びが私を変えたこと」といっても難しい。背伸びなんて滅多にしないからだ。これを書いている今が一番背伸びしているかもしれない。

最近、毎日文字を書き始めた。物書きというものに少しだけ憧れていたのだ。

都会のカフェでパソコンを開いてカタカタとお洒落にブログを書いてみたい。山奥の別荘で万年筆と原稿用紙の上で踊ってみるのも優雅だ。少しの憧れを手に携帯に文字を打ち込む。

だが、多分、恐らく、いや、絶対。向いていない。

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まず文章の書き方がわからない。段落分けとか、書き始めは一文字空けるとか。そんな小難しいルールがあったような気がするが、全てを無視して書いている。

それに日本語がわからない。わからないというか、小洒落た粋な言い回しができない。詩的で美しいものを書こうと意気込むと、どこかぎこちなく不格好なものができあがる。それから、何を書いても散文的になる。構想をせず、着の身着のまま書いてしまうからだ。

ゆっくり寝かせて味を出すことができない。常に全速力でその場を生きている。

今も、「向いていないぜ」と思いながら書いている。

きっと素晴らしい文章を書く人は、豊富な語彙で美しく洒落ている言い回しをし、粋な言葉で読者を魅了するのだろう。時の流れに身を任せ、ゆるりゆるりと優雅に執筆するのだ。

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向いていない背伸びだが、確かに変わったことはある。世界の見え方が変わったのだ。

惰性で生きていてはすぐに書くネタが尽きる。どんなものでもいい、とにかく取っ掛かりがほしい。今日のテーマを求めて、積極的に周囲に目をやるようになった。

日常の細やかな変化に、何気なく見過ごしていた美しさに気づくようになった。

目の前の山の緑が、深緑と黄緑、それに時々赤色で構成されるようになった。

雨の日はアスファルトと湿った土が混ざった匂いがする。

調律の狂ったピアノは、よく聞いてみれば、心にヤスリをかけてくる。

氷は冷たくて、痛いものらしい。触れたら肌に張り付いてくる。

パンは小麦と塩の味がして、ふわふわしているけれどネチネチもしている。

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知らないものにも手を出すようになった。

この間はパンガシウスの寿司を食べた。食感はニギニギしていて、味はゆず塩をかけられていたからかゆずの味しか感じなかった。

ドイツ語の勉強も始めてみた。話すことはできないし書くこともできないが、数単語だけわかるようになってきた。輸入されたチョコレートのパッケージに、「チョコレート」とドイツ語で書かれていた。スラリと読めたことが誇らしい。

読めるだけでなく、これが女性名詞であることを私は知っているのだぞ。誰も見てはいないが、少し胸を張ってみる。

TOEICを受けてみようと、TOEICの勉強ができるアプリを入れた。これは特に続かず、毎日「勉強してください」と怒られている。

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一日数百文字を書くだけで、世界が変わった。劇的な変化ではないが、確かな変化である。小さな背伸びが、いつの間にか大きな変革になっていた。
世界を救った勇者のようにちやほやされることはないが、自分の世界に映る色が増えた。どんなものでも、とりあえず挑戦してみるといいのかもしれない。

たった数cmの背伸びで、こんなにも世界は変わるものだと、気づけたのだから。