絶対に文句言わないでね。今でも残る、選挙に対する母からの教え

「選挙行くの、めんどくさいな」
私がその言葉をぽろっと口にしたのは、選挙権を得た年だった。別に深い意味はなかった。ポストに入っていたあの青いハガキが初めて届いたのを見て、なんとなく言葉が出ただけ。選挙の仕組みも知らなければ、立候補者の名前すらよく知らなかった。ただ、遠くにあるもののように思えていた。
そのとき、新聞を読んでいた母が、ページをめくりながら、こちらも何気ない感じでこう言った。
「行かなくてもいいけど、行かないんだったら、この国が決める全てのことに対して絶対に二度と文句を言わないでね」
その言葉を聞いたとき、私は怒られたわけでも、叱られたわけでもないのに、どこか息が詰まるような感じがした。
母の言葉には、威圧的なトーンなんて一切なかった。ただ、普段朗らかな母という人間の奥底にある、「当たり前」がさらりと表面に出ただけのようだった。
けれど、その“さらり”が、じわじわと効いてきた。
ボディーブローのように、時間をかけて、深いところまで届いてくる。
そして私はその時から、「行かなきゃいけないんだな」と思うようになった。
選挙に行くことが当たり前になったのは、その日からだ。
当時はまだ、それでもどこか義務感だけで行っていた。正直、投票所で配られる紙を眺めても、よくわからないままだった。
でも、年月が経つにつれて、あの時は理解できなかったことが、少しずつ分かるようになってきた。
お給料をもらうようになって、税金が引かれていることに気づくようになった。
レシートに書かれている消費税の数字に、無意識に反応するようになった。
妊娠や出産、育児、保育園の仕組みを真剣に考えるようになったとき、政治というものが突然、他人事じゃなくなった。
どうしてこういう制度なんだろう。
もっとこうしてほしいのに、と思うことが増えた。
そんな時、私はあの母の言葉を思い出す。
「行かないんだったら、文句を言わないでね」
だから私は行く。
どれだけ無知でも、どれだけシステムを理解していなくても、それでも行く。
「よくわかっていない自分が行っても意味がない」と思う日もある。
「自分の一票で何かが変わるわけじゃない」と思うことも、正直ある。
それでも行くのは、文句を言う権利を守りたいからだ。
私は、堂々とこの国に対して文句を言いたい。
もっとこうしてくれ、これじゃ生きづらい、なんでそうなるんだ。
そんなふうに声をあげるためには、その前提として、「私は選挙に行っている」という事実が必要だと思っている。
ニュースは今でも苦手だし、難しい言葉はすぐに頭から抜けてしまう。
候補者の公約をすべて理解できるわけじゃないし、立場の違いも混乱することが多い。
それでも、無知だからといって選挙に行かない理由にはならない。
たとえ意味が全部わかっていなくたって、行くことそのものに価値がある。
私は、あのとき母からもらったたった一言で、選挙に対してのスタンスが決まった気がする。あれは教育だったと思う。学校で教わるどんな授業よりも説得力のある一つの答えだった。
この国で、誰かと一緒に生きていく限り、私はこの国に意見を持ちたい。
それができる自分でいるために、今日も私は選挙に行く。
それが、私と選挙の、静かだけど確かな関係だ。
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