髪型を変えるというのは、人生を変えるための第一歩だと思う。

だからあの時、わたしは腰まであった髪を切ったのだ。覚悟を決めた証として。

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私は小さい頃から良い子だった。大人の言うことをよく聞き、周囲に優しく、学級委員をやるタイプ。褒められることが嬉しくて、周囲の求める優等生として振るまってきた。

私の母は、私にロングヘアでいることを求めた。天パ気味の私の髪質でロングヘアをすると、良い塩梅にウェーブがかかり、「お姫様みたいで可愛い」のだそうだ。母の好みがロングヘアであるため髪を切る選択肢を与えられることもなく、初めて髪の毛を切ったのは小学校高学年になってからだった。その後も髪の毛を切る習慣が身についていなかったため、髪を切った回数は少なく、常に腰あたりまでのロングヘアを維持していた。

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高校3年の秋も終わる頃、放課後に美容室に行った。オーダーは顎のあたりで毛先が揃うようなハンサムショート。オーダーした私よりも、担当してくれた美容師さんのほうが緊張していた。

家に帰り、母と顔を合わせると、母はショックを受けた顔をした。「な、なんで、もったいない、せっかく伸ばしたのに。卒業式は?成人式は?なんで相談してくれなかったの?」と信じられないものを見たような強張った顔をしていた。予想通りの反応だった。親に干渉されるのが煩わしいから反抗したいとか、親が嫌いになったから親に失望してほしくて髪を切った訳ではなかった。だから、親がどう反応しようと興味はなかった。

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その秋、私は指定校推薦の学内選考に落ちていた。私が志望していた有名私立校の一枠に選ばれたのは同じクラスの友人だった。薄々、感じていた。私は優等生だが凡人だ。テストの点も、部活動での成績も、元々才能や適性がある人には敵わない。その分野を「面白い、好きだ」と夢中になれる人には追いつけない。だから推薦を受けられないと知った時、短時間でストンと腑に落ちてしまった。「私はこんなもんなのだ」と。

「もう、どうでもいいかなー」とも思った。だが、意外と一度納得してしまうと、グレるでも自暴自棄になるでもなく、逆に肩の力が抜けた。傍から見たら、ショックを受けて無気力なように見えたかもしれない。でも、私自身は楽だった。この経験から、優等生であることや、周囲の望みに沿って振る舞うことの無駄さに気づいたからだ。本当は「周囲に承認してほしい」と期待していたことに気付いたからだ。そして、承認欲求を満たすために良い子にしているばかりでは、自身の望みを叶えられないことを悟った。

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自分の望みを叶えられない人生を歩み続けたくない。周囲からの評価より、自身の心の声を追求する方が、意味がある・価値がある。そう思える人生を歩みたい。自然体でそう思った。そこからは、自身の好きなことに没頭した。自身の望みを叶えるために努力した。

私の態度の変化が指定校推薦のショックからくる一過性のものではないと周囲が気づき始めた頃、髪を切った。周囲や承認欲求強めな今までの自分に向けて「私の人生は、私を喜ばせるために使います」という宣言をするために。私の覚悟を揺らがないものにするために。

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変わるというのは、勇気のいることだ。いつも通りの髪型、いつもの髪の長さ、色、冒険しなければ安心だ。だけれども、私たちは変わりたいから、髪型を変える。そして髪型を変えることで、覚悟を決め、明るい未来を予感することができる。暗いトンネルを抜け、日差しの眩しさに心躍るように、変化を楽しむ。髪型を変えることで踏み出した一歩が、その先の人生を変えるかもしれない。