私は、辛い物が得意ではない。辛い物を「好物です」と言える人が、不思議なくらいだ。

もちろん、まったく受け付けないわけではない。わさびやからしのツンとくる刺激は、むしろ好きな方だ。お寿司にほんの少しのわさびを効かせたり、シュウマイにからしをちょこんと添えたりするのは、味にアクセントが出て楽しい。

だけど、唐辛子系の辛さ(舌を焼くようなヒリヒリした刺激)だけは、どうしても苦手だ。

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辛い物が苦手になったきっかけがあるわけではない。ただ、子どもの頃から苦手だった。母の作るカレーが子供用の甘口から大人と一緒の中辛に変わった日、ひとくち目で「うわっ」と顔をしかめてしまったのを今でも覚えている。

大人になった今でも、好んで選ぶのは「甘口寄りの中辛」。中辛に少し甘口のルウを混ぜるのがベストだ。

私の家族も、みんな辛い物が得意ではない。実家でも、同棲後の今の家庭でも、食卓に激辛料理が並ぶことはない。だから、ふだんの食生活で「辛い物を食べる」ということは、ほとんどないに等しい。

外食のときも、辛さ控えめの料理ばかりを選ぶ。周りの友人が、「これ、ちょっと辛くて美味しいね!」と満足そうに言うのを聞いても、「うーん、もうちょっと辛さを押さえてくれないと味がわからない……」と心の中で思っている。

私にとって辛さは、「美味しさを引き立てるもの」ではなく、せっかくの料理の風味を一色に染めてしまうようなものなのだ。

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だからといって、辛い物を完全に避けているかというと、そうでもない。

不思議なことに、たまに無性に辛い物が食べたくなるときがある。それは決まって、ひとりで過ごす休日の昼下がり。午前中にヨガやジムで体を動かし、美容院で髪を整えたり、ちょっとおしゃれな雑貨屋をのぞいてみたり、そんなふうに「自分のために丁寧に時間を使った日」の締めくくりに、なぜか、あの真っ赤なスープが恋しくなる。
そう、私がそのとき選ぶのは、韓国料理のチゲ鍋だ。

ぐつぐつと音を立てて運ばれてくる鍋の中には、豆腐、野菜、豚肉、そしてたっぷりのキムチが浮かんでいる。真っ赤なスープは、見るからに辛そうで、私の日常では絶対に食卓に並ばないような強烈な色をしている。

それなのに、その日はためらいなくスプーンを手に取り、ひと口、またひと口とすすってしまう。すると、顔がぽっと熱くなり、額にじんわり汗がにじむ。そして同時に、心の中のもやもやも、少しずつ蒸発していくような感覚になる。
「私はなぜ今、これが食べたいんだろう?」と自分でも不思議に思う。

でもきっと、あの刺激が、自分の内側にこもったエネルギーを一気に解放してくれるような気がする。普段は「辛すぎて無理」と避けている唐辛子の刺激が、なぜかその時だけは、心地よく感じられる。美容や健康に気を遣って過ごした自分への、小さなご褒美であり、リセットボタンのようなものかもしれない。

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家族や友人と食べる食事ももちろん好きだけれど、こうして一人で、少し冒険気分を味わいながら食べるチゲ鍋には、特別な意味がある。いつもの私とはちょっと違う、ちょっとだけ大胆な私。それを感じられるからこそ、あの一杯を欲するのだと思う。

だから、私は「辛い物は苦手」と言いつつ、たまにあえて辛い物を食べる。

決して矛盾しているわけではなく、むしろそれは、私にとって「特別な時間の味」だ。日常を少しだけ飛び出したいとき、頑張った自分をねぎらいたいときなど、そんなときにあの真っ赤なスープは、私の心と体をじんわりと温めてくれる。