あと何回話せるだろう、なんて考えずに過ごせたらどんなに幸せだろう

高校を卒業して、大学進学を機に一人暮らしをはじめた。
当初は、はやく実家を出たくて一人暮らしをして安心と自由を得たと感じた。
それは間違いではなかったし、自分の城は実際安全地帯ではあったし自由だった。
だけど最近、ふと考える。
私はお母さんにあと何回会えるんだろう。実家暮らしをしている子、一人暮らしでも親と同じ市内に住んでいる子が羨ましい。
その子たちはあと何十日も、もしかしたらあと何百日も親に会って、親と話すことができる。
けれど私は、実家暮らしではないし実家まで高速に乗っても電車に乗っても3時間はかかる。3時間の道のりは社会人には厳しい。
毎週末帰るわけにもいかないので、お盆や年末年始だけ帰ることになる。
そうすると年に数日会えるわけだが親があと何年生きられるかを考えるともっと帰れたらなと寂しく思う。
そんなの、一人暮らしをした自分が悪い、自業自得だといえばそうなのだけど私は親から離れたくて一人暮らしをしたわけじゃない。
一人暮らしをしたくて一人暮らしをしたわけじゃない。
双極性障害を患った姉が「誰でもいいから家から出て行け」と言ったりリスカをしたり、叫んだり泣いたりするのが怖くて、恐ろしくて、不安で怖がりで勇気のない私が家を出たのだ。
夜中に姉の泣き叫ぶ声で起きずに済む安全地帯を求めて一人暮らしをはじめたのだ。
だから安全な家で、実家暮らしを続けている人が正直羨ましいを超えて妬ましくなることがある。
親とあと何回話せるだろうかとかあと何回親の作った料理を食べられるだろうかとか考えずに、あたたかな家で過ごせたなら。どんなに幸せだろう。
親が入院したときにすぐお見舞いにいくこともできる。親の死に目にもきっと会える。
いいなぁと思うと同時に、親孝行だなぁとも思う。
親から見える場所で日常を送って安心させて、料理だって親のために作ったりもするのかもしれない。
そんなに羨ましいのなら実家に戻ればいいのだが、現実はそんなに簡単じゃない。
職場があるし、お世話になっている人もいるし、一緒に暮らしている恋人もいる。
今の生活を簡単には変えられないから時折実家へ帰って大切な時間を過ごすのだ。
父方の祖母が認知症になって、私たち孫のことも、息子である父のこともわからなくなった。
祖母と父はもともと仲が悪かったけれどそれでも忘れてしまうのは悲しくて寂しいことだと思う。
どうしようもないことだけれど、いつかそのときが来てしまった時に少しでも母の記憶に私が残っていて欲しいから私は時折、母に電話をかける。
母と他愛もない話をして母の声や話し方をしっかりと私の頭にも残したくて。
この夏、父方の墓じまいをすることになった。
父方の墓までは実家から車で4時間ほどかかる。祖父も祖母も施設に入ってしまい、伯母も入院してしまった。
孫も私と姉たちしかいない。
そこで、父と母が元気なうちに墓じまいをすることになったのだ。
もともとあまり父方の墓参りには行っていなかったとはいえ、親と顔を合わせる機会が
また一つ減ってしまった。
小さい頃は会う機会がなくなっていくなんて思いもしなかった。
小さい頃は、一人で留守番をするだけで不安でいっぱいで、母と別々に暮らして一人暮らしをするなんて心細いと考えていた。
母は祖母と離れてよく平気でいられるな、本当は平気なんかじゃないのかななんて考えていた。
けれど高校を卒業して、親から離れて早6年。
親から離れて暮らすことに慣れてしまった自分がいる。失っても人は慣れてしまう。
時折思い出しては懐かしんだり恋しくなったりするだろうけれど、普段は平然と生きてしまう。
実家暮らしの人も一人暮らしの人も親とできるだけ話したり時間を共にすべきだと思う。
失ってしまったら、もう二度と取り戻せないのだから。
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