「実家暮らしです」と相手に伝えることに引け目を感じるようになったのはいつからでしょう。

「一人暮らしすればいいのに」なんて言われながらも、会社と家の往復3時間を約2年耐え、「一人暮らししたいって思わないの?」なんて言葉に曖昧に首を振りながら、気づけば今年で26歳。

そのことを、恥ずべきことのように思う一方で、「へぇ、実家暮らしなんだ」とどこか見下すような調子で軽く相づちを打つ人に、モヤモヤすることも多いのが本音です。

◎          ◎

「実家暮らし=経済的、精神的に自立していない」というイメージがあるのは確かです。それは、社会的にもそうでしょうし、個人的にもそうなのかもしれないとは思います。

でも、休みの日には家事をしたり、デジタルに疎い両親の相談にしょっちゅう乗ったりしていて、思うのです。結婚して実家を出ていった兄は、こういう一切の「両親の困りごと」からは離れていられるのだな、と。

私が、「明日のライブの二次元コード、すぐ出せるようにしてよ」なんて、この数年のうちに新たに始まった母の「推し活」の手伝いをしているとは、兄は夢にも思わないでしょう。たまに実家に帰ってきて、「ピアノの上にペンライトが置いてあるな」と気づいたとしても。

◎          ◎

もちろん、「推し活」に限りません。お店の予約、ネットでの買い物……。しなくていい会員登録をしそうになるのを横から止めたり、どこかに「消えた」という画像を探し当てたり。「ねぇ、ちょっと何とかして」と声をかけられることは日常茶飯事です。

「どうやって予約したらいいのか分からない」
「この画面はどうしたら消えるの?」
「会員登録はどうやってするの?」
「マイページってどれのこと?」

もし、私が一人暮らししていたら。両親は電話で聞いてくるのでしょうか。それとも、隣に助けてくれる人がいなければ、もう少し自力でできるようになるのでしょうか。

「そういうの、共依存って言うんだよ。親離れも子離れもできてないってことじゃん」

私と両親の関係を見て、そんなことを言う人もいます。でも、もし、両親に子どもがいなかったら? "高齢にさしかかる一歩手前の夫婦"がスマホやネットに困っていたら? 生活のなかの困りごとを2人で解決するのが"あるべき姿"なのでしょうか。

◎          ◎

ある朝、新聞で多世代共生型シェアハウスを特集しているのを見かけました。シェアハウスと言っても、20代~30代の単身者に限らず、子育て世帯や、高齢者なども入居しているのが特徴です。彼らはもちろん、本当の家族ではありません。でも、誰かに「お帰り」と言ってもらえる生活、頼れる人が周りに沢山いる生活を「大家族で暮らしているような感覚」と表現する人もいます。

核家族化が進んだ現代だからこそ、こういった交流のできる住居が求められているのだろうと思います。みんな、頼れる人を、家族を求めているのです。

……だからこそ、社会に流れている「独身でもそれなりの年齢になったら実家を出るべき」という風潮は、ともすれば不自然なように私には思われます。

両親にお世話になっている部分はあったとしても、彼らが苦手な部分を補いながら、生まれ育った家に住むことは、果たして恥ずべきことなのでしょうか。

◎          ◎

最近、両親が泊まりで旅行に出掛けるということがありました。家族旅行ではなく、夫婦旅。「そういえば、あなたたち(兄と私)が生まれてから、一度も2人では泊まりの旅行なんてしたことない」という母の言葉に驚きながらも、両親を送り出すことにしました。

その時、唯一の問題になったのは、我が家のワンコ。知らない環境が大きなストレスになる子なので、ペットホテルはもってのほかですが、彼女を連れての旅行では、行きたいところに行けません。それを解決できるのは、実家に住んでいる私の存在でした。

「あなたに任せるからね」

その言葉と共に旅行に出かけた2人が帰ってきた時。「お帰り」と言う側になった時。これも、1つの「共生」の形なんじゃないかと思ったのは、実家暮らしを正当化しすぎなのでしょうか。