日傘がアイデンティティだった私が母になり、息子と外で過ごす夏

私には、この世で嫌いなものが3つある。
ひとつは、黒光りした部屋の中で出くわすあの虫、もうひとつは、お腹の風邪、それから紫外線だ。
夏ーーそれは紫外線との闘い。
物心ついたときから、日焼けすることが怖かった。なぜだろう。白い肌に映えるバレエのお衣装を着て、華麗に舞うお姉さんが身近にいたからかもしれない。
白さには、強い憧れがあった。夏休みが明けて、充実度と比例してこんがりと焼けた友だちを見ても、ちっとも羨ましくなかった。
今でこそ、赤ちゃんにも日焼け止めを塗りましょうだの、小学生にも日傘をだの、暑さや日焼けへのリスクヘッジが提唱されているが、私が小学生の頃なんて、プールの授業で日焼け止め禁止どころか、ラッシュガードさえ禁止だった。
バレエをはじめ、いろんなお稽古ごとで毎日忙しかったからだろうか。友だちはいたが、運動がそこまで得意じゃないこともあって、外で思いっきり遊んだという記憶が数えるほどしかない。バレエの体験レッスンに来た子の顔なんて忘れてしまったけれど、後ろ姿は今でも鮮明に覚えている。あずき色のレオタードからのぞく背中の水着焼けは、とても痛々しかった。
もちろん、日焼けはしてしまったことがある。前述の通り、プールの授業は丸腰だったため、肩や背中の皮が少しめくれた。でも、出来るだけ日陰にいようとして必死だった。
中学生は自転車通学だったのでできなかったが、高校生からは日傘を差した。体育祭のクラス写真では、運動部のクラスメイトの間に挟まれて、白さが悪目立ちしていた。
大学生になって、キャンパス内のほんの少しの移動であっても、日傘を広げた。「この距離で?」「走ったら秒だよ」それでも、差した。ついたあだ名は「日傘」だった。
特に日がじりじりと差している時は、家から出たくない。でも、生きている限りそうも言っていられない。食材の買い出しは、なるべく日が落ちた後に。友だちと遊ぶ時は、屋内で。海やテーマパークへ行く時は、厳重装備をした。
「明日ここのカフェに行ってみたいんだよね」
夏の夜、恋人が送ってきた地図を見ると、最寄りの駅から徒歩で10分ほど歩かねばならなかった。翌日私は日焼け止めをしっかりと塗り、ファンデも厚く重ね、日傘はもちろんのこと、アームカバーもして行った。黒だと服装に合わなかったので、赤色のかわいいのを付けた。
「それ、おばさんくさくない? 外してよ」
待ち合わせて早々、私の腕を見ながら行った彼。即(別れたろかな)、とも思った。絶対に外さなかった。そう遠くないうちに、別の理由で別れたが。
夏だからできた。好きな人にどう思われるか、より、優先したのは自分の気持ちだった。どんなに荷物が増えようと、日傘は欠かさなかった。
今でも、紫外線は怖い。肌が老化する、シミができるという意味でも恐怖を感じる。「美白」と謳われた化粧品には絶対に目が行くし、どんなに高い商品であっても、他のものを節約してまで買ってしまう。もう今や、夏だけではない。年中、紫外線対策をしなければならない環境と年齢と風潮になってしまった。
昨年、息子が生まれた。活発で元気な子で、すぐに外へ出たがる。子と手を繋ぐためには、私のほぼアイデンティティだった日傘は差せない。(ああ、こんな格好ではセロトニンを浴びられないなあ)と思いつつも、コナンの犯人のようなスタイルになり、さんさんと降り注ぐ太陽の下に出る。
息子が、かぶっていた帽子を足元に落として走っていく。すばしっこさに追いつこうと走って追いかけて、帽子をかぶらせる。気づけば、汗だくになった私はUVパーカーの袖を捲り上げ、何も塗っていない腕を見せていた。
これからきっと、シミも増えるだろう。肌の色も黒くなる。
母だからできることが、夏だからできたことを上回っていくのかもしれない。汗と共に、そんな気持ちが沸いてきた。
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