夢を追いかけることの罪。痛みと誇りを両方を抱えて歩んでいく

人生で最初の夢は、「人魚姫になりたい」だった。
病弱だった私は、毎月の点滴や注射を乗り切ったご褒美に絵本をよく買ってもらっていた。
絵本の「人魚姫」は、愛する人と結ばれる夢を叶えるために取引をし、自らの声を失った上で最後には愛する人を守るため泡となる。
幼いながらに「なんてかっこいいのだろう」と思っていた私は、七五三の絵馬に「にんぎょひめになりたい」と書いた。
帰りの車の中で、自分の書いた文字が「にんぎょ"う"ひめになりたい」だったことに気づき、泣いたことも遠い昔の記憶だ。
小さな頃から、私は夢見がちな子だった気がする。
小学校の頃、飼っていた犬と過ごすうちに「獣医さんになりたい」と考えたが、血が苦手だと気づき諦めた。
「じゃあ、トリマーになる!」と言い出すも、給料が低いことを知り、現実を知った。
ウェディングプランナーや、声優、編集者やプログラマー。
その時にハマったものや、流れにただ身を任せていただけかもしれない。
ただ、物心ついたときからずっと思っていたことがある。
それは「有名になりたい」ということ。
私は一人っ子で育ったので、いつか両親もこの世からいなくなり、天涯孤独になることを意識して生きてきた。
だからなのか、「世の中に私の存在を残したい」という野心が常にあった。
学生の頃は、がむしゃらに色んなことをしていた。写真のコンテストや、詩を書いたり、自分のやりたいようにやってきた。
それで繋がった縁もあるし、あの頃の経験は今も大いに活きている。
それでも、就職と共に自分の中に大きな型を作ってしまった気がする。
社会で生きていくのが正しくて、自分もそうでなければいけない。両親やパートナーを安心させるため、こうでなくてはいけない。
今振り返ると、自分で勝手に決めた型に収まることで安心したかっただけなのかもしれない。
今、私は「文章を書いて生きていきたい」という夢を持っている。
幼少期から文章を書くことが好きで、両親にも周りの人にも褒められてきたこと。
自分でも自信があるからこそ、これを夢として掲げることが怖かった。
「もしダメだったら?」
「自分にとって最後に大切なものも、嫌いになるかもしれない」
そんなこともよぎるが、もう今の私にはこれしかないのだ。
勝手にハマっていた型を外して、自分のやりたいようにやってみたら、結果がついてきたのだから「今はコレをやれ」ということなのだと思う。
夢を追いかけるということは、自分と常に向き合っていく必要がある。
毎日、自問自答をして、「私は周りを犠牲にしてまで、何をしているのだろう」と泣く夜もある。
夢を持つことは一種の「罪」なのかもしれない。
先が見えない道を、暗闇の中を、ただ一人で這いつくばってでも進まなければいけない。
それでも、私は一歩を踏み出してしまった。
もうこの足は止められない。
止められないからこそ、ただ自分の掲げた夢を追い続けているのだ。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。