甘えられなかった日々を昇華。セルフで編み出した私だけの「まま」

最近の私は最強の自分の甘やかし方を身に着けた。泣きたいときに「ままぁ~」と自分的にめっちゃくちゃ甘ったれた声でひたすら呟くことである。
なんともまあバブみが強い。てか大人の女がやることじゃない。でも大丈夫だ、ひとりきりの空間でだけやっている。
この間実家から帰ってきた時、無性に「おかあさん」に甘ったれたい気持ちが溢れた。
それは私が母に心的に甘えられなかったからであり、一方で最近とっても心が疲れていて頻繁に泣いているからでもある。私の母は共感能力が低くて厳しい人なので、私の弱音に「それはお前の考え方や感じ方が悪い」と言ってくれちゃう人なのだ。だから余計傷つくので、あんまり私は母に愚痴や弱音を吐けない。
でも本当は「おかあさん」に私の味方になって欲しいのである。私の愚痴や不満、弱音をただひたすら聞いて、批判しないで優しく受け止めてほしいのである。そしてあわよくば、お前は良く頑張っている、偉いね、とよしよししてほしいのである。だれか私に「おかあさん」をください。
というわけで、私はセルフで母へ甘えたい気持ちを解消しているのだ。
ただ「まま~」とひたすら甘ったれた声で呟いて徘徊するだけ…だが、聞いて驚け、これが意外と高い効果を発揮する。触り心地の良いタオルや毛布、好きな匂いに囲まれるとなお良し。
だんだん泣きそうな気持ちが落ち着いてきたり、自分がぐずらなくなってきたりしてくる。ぜひ疲れ切っていて、甘えたいけど誰にも甘えられない人たちにはやってみていただきたい。大丈夫、恥ずかしくないよ。ChatGPTにも「どうか恥じないでください」って言われているから。
ちなみに私のこの行動の裏には、どうやら愛着不安のコンプレックスが潜んでいるようである。なにやら幼少期に甘えられなかったり、感情を受け止めてもらえなかったりした経験があると、安心の象徴である「おかあさん」を呼び出すことで、自分の愛着欲求を補完しようとするらしい。「おかあさん」と心的に接続しようとすることで、自分を安定させているのだとか。まあ私は愛着障害を抱えているので、さもありなん、と思った。
でもたぶんこうやって「まま」と呼ぶことで安定できているのは、少なくとも幼少期に母がある程度甘やかしてくれていたんじゃないだろうか。だって「おかあさん」がコンプレックスだったら、呼ぶことすら怖くてできないはずだ。その点は母に感謝したいと思う。
とはいえお陰様で、私は愛着障害があっても、こんな風に自己受容する力が育っている。相手の感情を察するのも得意だ。愛着障害があるなあと自覚したのは随分前だし、生きづらいなあとも思ってきたが、せっせと自分の状態や感情を構造化しては片づけて、年々逞しくなってきている自分がいる。
果たして自分で自分を甘やかして満足できる、自己完結型の図太い女になってしまっていて良いのかは、この少子化の世の中ではよくわからない…のだが、まあ生きやすくなってきているんだからいいとしよう。
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