友達のふりをしてきた私たち。大人になってから本当の友達になれた

学生時代はどうしても友達が必要だ。それがたとえ上辺だけでもいい。移動教室のときに隣を歩く友達、体育で二人組を作るための友達、昼休みに机を並べて弁当を食べる友達。私にとって彼女はそのための存在だったし、彼女もきっと私をそんな存在だと思っていただろう。別に特別居心地がいい訳でもなかったが、クラスの中ではまだ気が合うほうかな。そのくらいだった。
彼女と出会ったのは高校一年生の頃だった。簿記部の体験に行ったら、私以外に一人だけ一年生がいた。それが彼女だった。その日の体験が終わり教室を出てから、おずおずとクラスと名前を伝え合った。
それから二人ともそのまま簿記部に入部し仲良くなったが、彼女は途中で退部してしまった。それでも彼女と友達でいたのは、二年生で同じクラスになったからだ。
二人ともクラスで目立つタイプではなく、あまり友達が沢山できるタイプではなかった。しかも二年生のそのクラスに、他に仲良くなれそうな人がいなかった。だから二人で行動を共にすることは、お互いの利害が一致することだった。やがて友達の輪はじんわりと広がり、いわゆるいつも一緒にいるメンバーは四人になったが、その中に私が本当に心を許せる人は誰もいなかった。何故なら私はそのメンバーの中ではあまりにも突出して勉強ができた。
私は勉強ができるという取り柄以上に自分のダメなところを沢山知っているし、自己肯定感が低かった。だから周りから優等生扱いされるのが、本当に本当に苦しかった。でもその四人でいるときは、「優等生だから」とか「優等生なのに」とか、いつも優等生いじりをされていて、辛かった。でも他にいる場所もないから、いつも上辺だけの笑顔で誤魔化していた。
一方彼女も、人から理解されず苦しんでいるのはわかった。私と対照的に、彼女は四人の中で突出して成績が悪かった。スマホゲームの課金にバイト代のほとんどを注ぎ込んでいた。周りからは馬鹿いじりをされていた。学校が嫌いで、家が嫌いで、自分が嫌いで、苦しんでいたのは薄々気づいていた。でもそれを救ってあげられるほどの余裕が、私にはなかった。私が彼女に苦しめられているように、彼女もまた私に苦しめられていたのだろう。私たちは子供だった。
高校を卒業してから一年くらい経って、どちらから誘ったか忘れたがなんとなく会うことになった。それから私たちは半年とか一年とか、ある程度時間が経ったらたまに会う関係になった。毎回、彼氏欲しいよねとか、可愛くなりたいよねとか、仕事や学校がだるいだとか、そんなことを言い合って終わった。
彼女が変わったのは、そうして会ううちの何度目かのことだった。
何が変わったかというと、まず見た目だった。一重だったまぶたを、二重に整形した。髪を茶色に染め、ゆるく巻くようになった。白いふわふわのワンピースを着るようになった。
彼女が変わったのは見た目だけではなかった。別人かと思うほど、マインドが明るくなっていた。
家族と上手くいっていなかった彼女は就職をきっかけに一人暮らしを始め、自由を手にした。家を嫌っていた彼女が、他人と過去は変えられないことを理解し、自分と未来を変えることを考えるようになった。整形をきっかけに、自分を変えられることに気づいたようだった。
話していても、プラスのエネルギーを沢山もらえた。今度あんなことしたいね、ここ行きたいねと話すようになった。私の悩みを聞き、自然とポジティブなアドバイスをくれた。もっともっと彼女と話したいし、いろんなことをしたいと思った。もうアクセサリーの友達ではなかった。
その日初めて、私たちは本当の意味で友達になった。
今では高校生当時の私の苦しみも話せるし、彼女の苦しみも理解できる。今の悩みを共有したり、喜びを分かち合ったりできる。もう上辺だけの笑顔を見せる必要もない。
彼女のことは高校生の頃から知っている。ずっと友達のふりもしていた。だけど本当に友達になれたのは二人とも大人になってからだった。
今あえて彼女に言いたい。ずっと友達でいてね、と。
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