いまだ“男性社会”の名残が根強く残る建設業界。その中の小さな建設コンサルタントに就職した私を待ち受けていたのは、度重なる苦難と壁と、一つの希望だった。
今からおよそ四年前、就職活動の真っ最中だった私は、とある中小企業に何とか内定をもらった。道路やダムの設計を生業にするその会社は、測量から設計まで自社で行うことを売りとしていた。建設に関する知識は全くなかったが、ずっとオフィスにいるより、現場に出て働く方が自分の性にあっているだろうと入社を決めた。女性技術職を採用するのは何十年ぶりのことらしい。
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入社した私を待ち受けていたのは、“想定外”の連続だった。
てっきり東京本社に配属されると思い込んでいた私は、はるか遠くの地方の支店に配属された。女性の事務員さんが一人と他は全員男性。みな怖そうで緊張し、はじめは話しかけることすらできなかった。土地勘もなく、知り合いもいない土地で一人ぼっちになってしまった。
しかも月の半分程度ときいていた現場出張が、夏季は毎週連続で続くことが分かった。
冬は積雪の影響で現場に出られないため、夏のうちにすべての現場作業を終わらせなければならないからだそうだ。
毎週のように山奥に出張し、過酷な現場作業になんとかしがみついた。
雨でもたいてい作業は決行された。納期に間に合わせなければいけないからである。全身ぐしょぬれで山の中を歩き回るのは、本当に精神的に参った。
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しかしながら、現場で働くうえでなによりもつらかったのは、日中の仕事よりも宿泊する宿の方だった。いつも宿泊するのは、だいたいが山奥にぽつんとある民宿だった。
工事に従事する人間が泊まることが多く、女性は私と切り盛りするおばちゃんたちくらいだった。ふすまで隔てた隣に先輩が眠り、一つしかないお風呂を交代で使った。
もともと人に気を使いすぎる性格だった私にとって、プライバシーが保たれにくい環境はより気疲れを悪化させた。
さらに追い打ちをかける出来事があった。
その日の宿は、一軒家をまるまる民宿に改装した宿だった。調理場のおばちゃんたちの雑談は、私の耳には丸聞こえだった。
ある言葉が胸に突き刺さった。
「女の子いたね、一人。男の仕事なのに。」
そうか私がやっていることは男の仕事なのか……。その言葉を聞いて私は落ち込んだ。
自分は場違いな世界に入ってしまったんじゃないかという疑問が頭をよぎった私は、仕事を辞めるべきなのではと思い悩んだ。
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だが悪いことばかりではなかった。
初めての上司は、とても教育熱心な人だった。
技術に関することから現場の歩き方まで、基礎の基礎から教わった。
図面もいきなりパソコンで描くのではなく、紙を渡された。どうすればコンクリートの量を減らせるか、なぜこの線はこの勾配で書くのか、鉛筆で線を引きながら学んでいった。次第に学ぶことが、楽しくなっていった。
そうやって教わっていくうち、最初は全くわからなかった先輩たちの仕事の話も、徐々に理解できるようになっていった。自分から質問したり、アドバイスを求めたりできるようになった。怖そうなおじさんたちは全然怖くなかった。むしろとても優しく、身一つでこの業界に飛び込んだ私をとても気にかけてくれた。
伝わってきたのは、職場の人たちが、性別関係なく、技術を受け継ぐ後継者として、一人の社会人として私を育てようとしてくれていることだった。とても嬉しかった。
この会社で一人前の技術者になりたい。そう決心して、仕事に励んだ。
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しかし順風満帆にはいかなかった。二年目の冬、休職を余儀なくされた。休職中、今後の身の振り方を考えた。今の会社で働き続けたい気持ちはある、でも同じ働き方ではまた体調を崩すことを繰り返してしまうかもしれない。
悩んだ末、会社を辞めることにした。
振り返ってみると、四年かけて、スタート地点から一周して、またスタートに戻ってきたかのような四年間だった。また一からやり直しだ。
でも得たものがないわけではない。
右も左もわからずに建設業界に入った。確かに女性が働いていくには、まだまだ難しいところもたくさんある。だが、少なくともそこで働いている人たちは、私を一人前にしようと力を注いでくれた。
そんな人たちがいてくれたからこそ、“男の仕事”を“私の仕事”にしようと頑張れたのだ。
そして、なによりも、設計という仕事を好きになれたことが大きな収穫だった。たとえまた同じ職に就かなくても、自分の仕事を好きになる感覚、仕事が楽しいという感覚を知っていることは、今後仕事を選んでいくうえで大切なものになるはずだ。
キャリアはふりだしに戻ってしまったけど、学んだことは、頭に詰まっている。
さあ次の“私の仕事”は何にしよう?