「私の一番好きな家事」それは、母の誕生日にリクエストされる特別なご飯作り。
記憶は定かではない、物心ついたその時から恒例の行儀になっていたと思う。

確か、まだ赤いランドセルを背負っていた小学2年生こと。今年もついに母の誕生日、11月7日、イイナの日がやってきた。
「お母さん、今日は私が何か夜ご飯作るよ。なんでもいいよ。食べたいものはある?」
「うーん、そうだな、パエリア食べたいな」母の口から、予想外の食べ物が発表された。

パ・エ・リ・ア。ぱえりあ。
その奇妙な温かみをもつ言葉の塊は、その正体が何者か分からぬ幼い私の身体を巡り巡って、気がついたときには、わかった、ぱえりあ、ね。作るよと、スムーズに口走っていた。

◎          ◎ 

まずは、レシピを携帯で検索してみる。出てきた画像を見て、抱いた最初の印象は太陽みたいなご飯。フライパンのまま、その上に、大ぶりのエビがゴロゴロ、黒光っている貝殻がついたままの貝、真ん中に向かいパプリカは列をなして並ぶ。その下には、太陽の陽をふんだんに浴びたお米が敷かれている。 

初めて見たその食べ物に、戸惑いと不安から、眉はくっつくほどよっていたと思うが、それでも大好きなお母さんのお願い。作らない、の選択肢は、まるでなかった。

まずは、近所のスーパーに行って、材料を調達してみる。お家で調べたレシピを紙に書き写し、冒険書のように大切に握りしめ向かった。お魚コーナーに行って、えび、貝を買う。自分の貯金では足りないので、お母さんから少々もらったお小遣いも冒険書と共に握った。普段お母さんが買っているよりも大ぶりなものを選んだ。

それから、お野菜コーナーに行って、黄色くご飯を彩るサフランを買った。サフランって可愛い名前。あなたが、この料理に元気な魔法をかける妖精なのね。よろしく。と、心の中で語りかけ、足早にレジに向かった。

◎          ◎ 

帰宅後、早速購入した全ての材料を広げた。無事、初めて耳にする材料たちを調達できた満足から、私のボルテージは絶頂を迎えていた。それからは、レシピに忠実に従って、黙々と作り上げていった。

途中味見をしてみたが、ぱえりあを食べたことがない私には、ただお腹を満足させる行為に過ぎなかった。なんとか作り上げ、日が暮れた頃には、私はなんとも言えぬ充足感でお腹も心も何もかもが満たされていた。

「お母さん、はい、できたよ、ぱえりあ」
「えぇうそぉ〜、本当に作ってくれたん?ありがとう」大きなまあるい目をパチクリさせて母は駆けつけた。

じゃん、レシピ通りフライパンで作った私は、大袈裟に蓋を開けた。
「わぁ、すっご〜い。パエリアだ。」
母の言葉で、見た目の第一関門を突破したことに安堵する。食べてもい?と、母は早速パクッと口にする。「わぁ、パエリアだ。今まで食べた中で一番美味しいパエリアだ」

続いて私も口にする。 あぁこれがパエリアなんだ。母からパエリアだと言われた瞬間、とっても美味しく、愛らしく思えてきた。そして、自分の冒険が無事着地したことに胸が昂った。

◎          ◎ 

あれから、時は過ぎ、大学で家を出てからは、母の誕生日には母が好きそうなご飯やお菓子なんかを実家に送った。自炊もするようになり、リクエストに対応できるご飯のレパートリーやクオリティはぐんと高まった。もちろん、母は毎年同じリアクションで歓喜してくれるのだけれど、あのパエリアを作った日の興奮や達成感を私の腕や、鼻や、口は、まだまだ忘れないでいる。

今年の母の誕生日は何を作ろうか。何を作って欲しいだろうか。そんな誰かを思って動く時の自分の底知れぬ馬力と、創造性にワクワクできる、年に一度の一番好きな家事です。