私は母親だ。子どもはいない。いるのは歳の離れた妹、そして私を子どもにすることにできなかった女性が一人。

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母親というのは、子どもを産めばすぐになれるものではないと心から思っている。大人が子どもの延長線上にあるように、母親だってその人の延長線上にすぎない。器用に母親になることができる人もいれば、不器用でなかなか母親に慣れない人もいる。それはわかっていた。いや、わからざるを得なかった。

私の家族は、いわゆる機能不全家族と世の中では呼ばれてしまうのだろう。
仕事ばかりで家に帰らない父親に、障害がある長男にかかりっきりで私以降の子どもたちの面倒上手く見ることができなかった母親。そして重度の自閉症と知的障害がある兄。歳の離れた妹の面倒をみようと必死になってしまった私に、それを甘んじて受けてきた妹。これが私の家族だ。

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私の立場のことを、世の中ではアダルトチルドレンだとかヤングケアラーだとか呼ぶのかもしれない。自分ではわかっていないが、結果的にそうなってしまっているのだ。特に暴力を振るわれたわけでもない、ネグレクトをされたわけでもない。それでも私は大人の年齢になってもなお、子ども時代の自分がどこにいたのかわからないでいる。

今となって、母親も一人の人間であることを理解し、私のことをハグできなかったことや妹の面倒をみている私を放っておいたことを、なんとか許そうとしていた。許そう、許そう、そう考えるたびに私の母親は消えていってしまった。「私には母親がいなかった」そう思うほうが、心が安心する気さえした。つい最近まで、そのように考えていた。

でも、とある日私は叔母から私の幼少期の話を聞くことになる。
「万里ちゃんは、幼稚園に通いだしてから周りのことを気にするようになって円形脱毛症になったことがあるのよ」そう言われた。衝撃的だった。と、同時に薄っすらとした記憶がよみがえってきた。そういえば、そんなことがあったかもしれない。だから私はまず、父親に事実確認をした。

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「ねぇ、父。私って幼少期に円形脱毛症になっていたんだって。知ってた?」

まるで、幼い頃の笑い話のように聞くと、父は冷静にいった。「ああ、さっき姉から聞いて知ったよ」予想通りの反応だった。この人も悲しく不器用な人間だった。人間としてはとても良い人なのだけど、父親になる才能はあまりなかったように思う。

しかし、これでは事実確認が取れない。本当に私が幼少期、円形脱毛症になったのか。それだけが聞きたかった。けれど、母親に聞くのはひどく怖かった。理由ははっきりしていた、回答によっては、本当に私は目の前の女性を母親だと認められなくなってしまう気がしたからだ。しかし、母親に聞くほか策はない。仕方がないから私は勇気を振り絞って、かつ冗談めかしてきいてみた。

「ねぇ、母。私って幼少期に円形脱毛症になった記憶が薄っすらあるんだけど、間違いないかな。」

回答は以下だった。

「ちょっとだけね、ほんの少しそんなときもあった。」

失望した。すごくシンプルに、失望という単語が頭にドシンと降ってきた。母親はこの話題について触れてほしくなさそうだった。同じくらい私も、この話題にはもう触れないでいようと思った。

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繰り返すようだが、人間は子どもを産んだらすぐに母親になれるわけではない。たくさんの努力と試行錯誤で少しずつ母親になっていくものだ。けれど、それさえも難しい場合がある。私の母親のように、子どものSOSに気づけないかもしくは気付いていたが対処ができない場合もある。

それが一概に虐待だとは私は思わないが、すぐ近くに「母親になり切れなかった女性」がいる私は、妹の前以外では母親になりたいとは思わなくなった。もちろん、妹の前でだって母親になりたかったわけではないのだけれど。

子育てをすることが難しいとされる世の中で、私は理想の母親像をみつけることができなかった。だからといって母親になりきれなかった女性のことが嫌いになったわけではない。母親として見ないで、友人として見るとひとたび関係は上手くいったからだ。

私は今後もしかしたら誰の母親にもなれないのかもしれない。けれど、それは悪いことではないと思っている。そして自分の母親のことを母だと認められないのかもしれない。これもまた悪いことではないと思っている。

人間は、すべて延長線上に存在している。だから、関係性は私たちで作っていっていいのだと思うのだ。