今でこそ低身長女子の私だが、子供の頃は周りより発育が早かった。
そのため小学校3年生の時には胸が膨らみ始めた。自分でもそれを認識する前に、母が私を下着売り場へ連れて行き、子供用のブラジャーを買い与えてくれた。
後に母は「メガネでボクっ娘でこんなに発育が良かったら変態さんに狙われちゃうって思って」と言っていた。この頃はまだ、私は一人称が「ぼく」だった。自分のことを「ぼく」と言っていたのも、その後しばらくして、かわれたのをきっかけに「わたし」と言うように頑張ったのも覚えているが、なぜ「ぼく」と言っていたのかは覚えていない。
母から聞いた話だと、どうして「ぼく」なのかと母に聞かれた幼少期の私が「『わたし』より『ぼく』の方が言いやすいから」と答えたそうだ。そして両親はその理由に納得し、特に矯正しなかった。
今の時代だったらわからなくもないが、25年以上前の話である。頭ごなしに否定せず、理由を聞き、納得した上で矯正しなかった両親も大したもんだなと思うが、その後数年、「ぼく」って言うのはおかしいんだと思うような扱いを、私が受けなかったことも驚きである。
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ただ、子供の頃は他者からの言動に対して鈍かったような気がするので、からかわれても気づかなかった可能性もある。「ぼく」から「わたし」にいきなり変えるのは難しかった。というより恥ずかしかった。
そのため当時、流行っていた「ウチ」という一人称を経て「わたし」と言えるようになった。ちなみに現在、「わたし」と言っているつもりで「あたし」になってしまうことが多々ある。私は何かと不器用なのだが、もれなく舌も不器用なのかもしれない。
そう考えると言いやすさ重視で「ぼく」と言っていた幼少期の私は賢いなと思う。
私が「わたし」と自然に言えるようになった頃、ワイヤーブラを着けるほどに胸は成長していた。母は成長段階に合わせて下着を一緒に選んでくれたし、下着の捨て方も教えてくれた。下着は必ず下着だとわからないように紙や不透明な袋に捨てるんだよと教えてくれた母は「世の中、変態さんがいるから」と事あるごとに言っていた。
そんな折、酔っ払った父親に「乳、揉んだろかぁ〜」と言われた。実際揉まれなかったが、手をパーに開いて、指を曲げ、揉むジェスチャー付きで言われて、大層気持ち悪かった。
でも、気持ち悪いとか、ありえないとか、頭おかしいのかとかそんなことより、絶対このことを母に知られてはならないと思った。
母は私を変態さんから守ろうとしていたのに、私のファースト変態さんは父だった。そんなことがあってたまるか。墓場まで持って行こうと思い、私はその記憶自体を奥底に仕舞いこんだ。
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アラサーになってから精神科に入院する機会があった。点滴しながら移動する患者からサッと目線をそらしつつ「私、注射とか点滴とか針系無理なんだよね〜」なんて脳内一人会議をしていたら、「お父さんに安全ピンで刺されたからね〜」と続いて「お父さんに安全ピンで刺された!?」と驚いた。全私が総ツッコミである。
私は幼稚園児の時、名札のピンで故意に刺された。なぜ故意かというと「ブスっと」と父が効果音を言いながら笑顔で刺したからだ。痛かった。
それを機にあれよあれよと父からされたことを思い出したり、疑問を持ったりした。その一つが乳揉み発言である。これに関しては主治医にも自助会でもカウンセリングでも恋人にも話せていない。もちろん母にも。
このことを知った母のことを心配する私は我ながら優しいなと思う。でも、もうそろそろ、その優しさを自分に向ける時じゃないかな。ていうか、まず怒ったら良いのではなかろうか。いや、怒る価値すら父にはないのかもしれない。私は私を大事にしよう。母が私を大事にしてくれたように。