学びの先にはなにがあるのだろう。社会人になって7年目、学び続けろとまわりの大人は言う。確かに学び続けることに意味はあると思う。もし学ぶことをやめてしまったらひとの成長は止まってしまうだろう。

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最近、学ぶ内容を変えた。それまで学んでいたのはいわゆる「仕事」に必要な知識を身に着けるための資格試験の勉強。ひと段落ついたので、次何を学ぼうかと考えていたところ会社で、自己研鑽のための大学院通学の募集があった。

なんとなく、自分で考えるのは面倒だなと、ならばこれに参加しよう、と思った。これを学ぼうと思ったきっかけは簡単に言うと上司からの評価、見栄えをよくしたいから、簡単に言うとアピール、それから会社のお金で学ぶことができるのならば、それはお得だと思ったから。

外面のよい私、表向きの私の評価はよく頑張っている子、それは仕事においても、プライベートにおいてもそうだろう。必要な知識のインプット、事前調査に資料作成、言われていない勉強も勝手にこなし、それなりに時間は割いているから、まあ真っ当な評価だと思う。しかし、実際の私は楽な方に流されたい、頭を使いたくない、からっぽで許されるならそのまま生きていきたい、が圧倒的に勝つ、そんな人間だ。

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最近学び始めたのは「クリティカル・シンキング」。思考の基礎になる、インターネットの世界でいえば、OSの部分。クリティカル・シンキングはOSのような役割を果たしているそう。

学び始めて、思ったことは私のOSさぼることしか考えてないなあ、あと、アップデートするの大変だなあと。クリティカル・シンキングはいわば、思考の整理の方法、考える力を身に着けること。

この部分がしっかりしていないとどんなに良いビジネスの原理・原則(知識)をインプットしてもなかなか良いものにはならないんだと知った。私はクリティカル・シンキングを学び始めて、これを学んで自分を整理しようと思った。具体的には自分の思考を整理して、自分のことを知ってあげようと。

いっしょに学ぶ仲間に出会って、改めて自分振り返った。皆、向上心と目的をもって通っていて、自身との違いを目の当たりにした。私はなんのために学ぶのだろう。

「法人営業をしている身として、経営者の気持ちを理解するのに役立てたいと思ったから」そんな聞こえの良い理由ではなく、面倒くさがりな私の本当の理由。それは、「自分のことを認めてあげたい、好きになってあげたい」から。

たくさん学んだら、中身の詰まった人間になったら、少しは自分のことを好きになれるのではないか、認めてあげられるのではないか。

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学びの先にはなにがあるのだろう。きっと答えは自分のなかにしかない。そして、私は自分を好きになるために学び続けるのだろう。

もっとも学んでも自分のことを好きなってあげられるか、認めてあげられるかは不明であるが。クリティカル・シンキングを学んだあとは、何を学ぼうか。マーケティング?経営戦略?自分受けする内容を探して学んでいくだろう。