18歳の私と社会を繋ぐ初めての投票。自分の責任で未来を選びたい

七月の初め、ポストに一通の封筒が届いた。宛名のところには、しっかりと私の名前。「選挙のお知らせ」──参議院選挙の案内だ。
それを手に取った瞬間、「ああ、ついに来たんだ」と心の中でつぶやいた。中学生のとき、成人年齢が18歳に引き下げられた授業をどこか遠い世界の話のように感じていたけれど、その「世界」が今、私の目の前にある。
私はいわゆる「遅生まれ」で、周りの友達よりも選挙のタイミングが少し遅れてやってきた。18歳の誕生日を迎えてから半年以上が過ぎたが、今回が初めての選挙になる。もう3回目の投票を経験しているという同い年の友人もいる中で、私はようやく「初陣」だ。
「選挙って、何となくワクワクするよね」と言ったら、友達に少し呆れた顔をされた。
「えー、私もう行かないよ。1回行ったけどさ、投票しても全然意味ないって感じた」
「うん、いいなって思った人に投票しても、当選しなかったらなんか萎えるし」
そんな言葉に、私は少し戸惑った。選挙に期待を抱いているのは、もしかして少数派なのかもしれない。でも、私はそれでも投票してみたいと思っている。理由ははっきりとは説明できない。ただ、自分の手で何かを選ぶという行為に、どこか大人びた責任と、未来への参加感があるような気がするのだ。
私の「選挙との出会い」は、高校3年生のときに遡る。
東京都知事選の真っ最中で、通学路や駅の掲示板にはずらりと候補者のポスターが並んでいた。校門の前にも、知らない大人たちの真顔がずらりと並び、私たちを見下ろしていた。
正直に言えば、「なんだこれ?」という感想だった。
選挙カーの音も印象に残っている。授業中に遠くから響く「〇〇をよろしくお願いしまーす!」の大音量。真剣にノートを取っている最中にそれが聞こえると、「ちょっと静かにして……!」と思わず言いかけてしまう。
でも、それもまた一つの「選挙活動」であって、必死に声を届けようとしている人たちがいるという現実なのだと、少し大人びた視点で受け止めようとした。
選挙は、「誰かを選ぶ」という行為だ。そして、「誰かを選ぶ」ということは、自分の価値観を形にすることでもある。
「自分一人が投票したって意味ないよ」と思う気持ちも分からなくはない。けれど、だからといって投票しなければ、「意味がなかった」とすら言えなくなってしまう。
ある先生が言っていた。
「たとえ一票で変わることがなくても、その一票は『自分がこの社会を見ている』という証になる」
私はその言葉が、今も心に残っている。選挙は、結果だけで語られるものじゃない。自分なりに調べて、自分なりに考えて、自分なりの1票を入れる──その過程こそが、大切なのだと思う。
選挙に行かなくなったという友達の一人が、こうも言っていた。
「どうせ若者なんか、適当に投票してるって思われてるよ」
それが本当だとしたら、ちょっと悔しい。若者だって、ちゃんと考えてる。バカにされたくない。だからこそ、私は投票しに行く。
今回の選挙で、私が投票した人が当選するかどうかはわからない。もしかしたら落選するかもしれないし、投票後に「なんでこの人に入れたんだっけ?」と思うかもしれない。
それでも私は、初めての一票を、自分の手で入れたい。自分で決めたという経験を、持ちたい。
選挙権を得たからといって、突然社会のことが分かるようになるわけじゃない。ニュースを見ても、言葉の意味がわからなかったり、政策を読んでもピンとこなかったりする。だけど、分からないなりに、興味を持つことはできる。
「選挙って、社会に参加する最初の一歩だよ」
そう言っていた先生がいた。その一歩を、私は今、踏み出そうとしている。
もしかしたら、友達と同じように、2回目からは行かなくなるかもしれない。それでも、私はまず、1度行ってみたい。投票用紙を受け取り、自分の手で名前を書くという経験を、してみたい。
それが、社会と私をつなぐ最初の「線」になる気がしているから。
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