自己紹介をさせてください。2020年、新卒入社した会社を3か月で離職しました。

自分を責めた日々、オフィスで泣き崩れた日のこと、働く同期と寝たきりの私。苦しい転職活動を経て、社会復帰に足が震えた冬。激動の1年のことを、エッセイに綴じ込めては投稿しました。「仕事辞めたい三部作」と勝手に呼んでいる作品たちは、今の私の礎となっています。

20卒、仕事を辞めた。こんなはずじゃなかった。

故郷の空を見上げる。苦しみもがいた今日も、心にしまう大切な記憶

1度の失敗で社会から外れることはない。それを知った今伝えたいこと

人間関係や勉強は、うまくやれてきたタイプだと思います。だけど、なぜか仕事だけがうまくいかない。憧れた大人になれていないんです。この感覚は、社会人4年目になった今も心の片隅にあります。ただ、このままではないんだろうな、という希望も反対の隅にあるのです。

いつか私は、三部作を笑い飛ばせる日がくる。そう思うから、私と仕事の現在地を残しておきたいと思い筆を取りました。

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さて、再就職を果たした前回のエッセイから、あっという間に2年半が過ぎました。私は現在も、同じ会社に勤めています。

最初の壁は、コロナ禍におけるコミュニケーションでした。ネット環境があれば働ける部署であり、出社する同僚はほぼ0人。入社3か月後には、自身も在宅勤務になりました。時間や場所に縛られない働き方を目指していた私にとっては、願ってもなかった機会です。

しかし、いざやってみると、気軽に相談ができない、簡単な質問のハードルが上がる、先輩たちとの関係を構築できないなど、新入社員には酷な環境だと実感しました。うまくヘルプを出せなくて、1人泣きながらパソコンに向かう日もありました。

幸い、気遣ってくださる先輩の出現により、今では平穏に過ごせていますが。

2年半での大きな変化は、後輩のような存在が3人できたこと。新入社員が2人と、在宅で働くママさんが1人、私のあとに部署に入りました。先輩としてのコミュニケーションが増えると、世界が180度逆転したような感覚に襲われます。何より「相談する側」から「される側」になることは、大きな変化でした。

後輩たちと接していると、あの頃の自分と同じ不安を抱えているのだろうと感じることが多々あります。前職に勤めていた頃も、現職に入社したばかりの頃も、仕事において自分に価値がないと思っていました。周りに損害を与えてばかりで、何1つこの組織の役に立っていない、存在が、プラマイ0どころかマイナスだと感じるのです。

必要以上に「申し訳ない」と口にする彼らに、孤独や不安を感じさせたくなくて、できる限りのフォローをする毎日です。どうせ誰かが苦しむなら、それは私で終わりにしたい。道端の石をひとつでも取り除いてあげたい。泣きながらパソコンに向かった自分に手を差し伸べるように、今日もチャットでおどけています。

これが2年半の現在地。チョロQみたいにあちこち激突しながら、とんでもない成長を遂げてきたと思います。「自分は仕事ができない」。心に空いたブラックホールが、大人しくしている日も増えました。

しかし、まだまだこれからであることも同時に確信しています。生きることとほとんど同義であるお金稼ぎを、より自分らしくできる方法があると信じています。私にとって、社会で生きるのは簡単なことではありません。しんどいなと思う日もあります。ただ、彼方まで伸びる自分の伸びしろを眩しく思いながら、少しは能天気に生きていけたらと思っています。

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最後に、友人からの一言を添えて終わります。心が折れるのって、粉砕骨折なんだそうです。完治には時間がかかる。完全な「元通り」は、もしかするとないのかもしれません。

今思い詰めているあなたは、真面目で優しい人でしょう。心が砕ける前に、這いつくばってでも逃げてください。未来の心配をしなくていい。今ある当たり前を守れなくなってしまいます。食べられるうちは元気とか、あの人の方が辛いとか、ここで撤退するのは逃げだとか、いろんな意見を目にして混乱するかもしれません。だけど、あなたの辛さはあなただけのもの。同じ人生を生きている人なんていない。あなたの辛さを正しく測れる定規なんてないんです。人の気持ちは絶対評価です。誰かに進路を委ねないで、自分の気持ちに従っていいんだと思います。

自分の気持ちを確かめられたら、怖いですよね。行動することは、心を決めることの何倍も怖い。退職も言い出せないなんて、と自分を責める必要はありません。エネルギーがないとできないことを、とっくの昔に枯渇した状態でやろうとしてるんですから。低空飛行の毎日でも、比較的心が軽い日に、一歩を踏み出す準備を淡々とするのがおすすめ。ツンとつつくだけで全てが崩れるように、ジェンガを積み上げるんです。もちろん、半歩ずつでもすり足だって大丈夫ですよ。

心が折れそうな時は、よければ私のことを思い出してください。オフィスで泣き崩れた時、限界で、恥ずかしくもありませんでした。それどころか、「これで終わるかな」と希望さえ感じていたのを覚えています。そんな人間だって、しばらく心を痛めたけれど、3ヶ月後には気力を取り戻して、1年後には何ともなかったような顔をして働いています。

もちろん、傷の深さは人それぞれ。どれくらい・どんな生活をすれば回復するという基準にはなりません。n=1のサンプルだけれども、そんな未来があることを心の片隅にとどめておいてもらえたら嬉しい。なんとか生きている人間がここにいます。だからあなたも大丈夫。